【介護体験】介護施設の一年目の暮らし?「喜び・悲しみ」⑮

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高齢者住宅に住んでからの暮らし方?
妹との別れ

サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)での暮らしは、個々のニーズに合わせた柔軟な生活が可能です。以下は、母が体験したサ高住での1年間の暮らしについての概要です。

サ高住での生活の一日

  1. 朝の時間
    母は自分のペースで起床し、朝食を食堂で他の入居者と共に楽しみました。朝の時間は新聞を読んだり、コーヒーを飲んだりと、ゆったりと過ごすことができました。
  2. 自由時間とレクリエーション
    午前中は自由時間が多く、デイサービスに通う日もありました。デイサービスでは、食事や入浴、リハビリなどを受けることができ、母も楽しんで参加していました。
  3. 昼食と午後の活動
    昼食も食堂で提供され、季節や行事に合わせたメニューが楽しめました。午後は健康相談やレクリエーションがあり、他の入居者との交流も深まりました。
  4. 夕食と夜の時間
    夕食後は共有スペースで談話を楽しんだり、居室でゆっくり過ごしたりと、自由な時間が続きました。就寝時間も自分のペースで決められるため、ストレスなく過ごせました。
  5. 喜びと悲しみ
    母のサ高住での生活には、喜びも悲しみもありました。新しい友人との出会いや、スタッフとの温かい交流は大きな喜びでした。しかし、妹との別れなど、悲しい出来事もありました。それでも、サ高住の環境が母の心の支えとなり、安心して暮らすことができました。
  6. まとめ
    サ高住での生活は、個々のニーズに合わせた柔軟なサポートが受けられるため、高齢者にとって安心で快適な環境です。母の体験が、施設生活を考えている方への参考になれば幸いです。

この1年間の主な出来事を紹介します

高齢になると
乗り越えねばならない出来事(悲しみ)が増える?

叔母の入院(母の妹)

◆母の唯一の身内の叔母さんの入院!
叔母(妹)は、母が入所6ケ月頃には、「お見舞いに」行きたいと電話して来るほど元気であったが、その後、胃がんの再発で入院するとの連絡が叔母自身より私にありました。

◆自身が虚弱しているのに、母は、叔母のお見舞い行きたがる!
どうにか希望を叶え、お見舞いをさせてやりたいので、体力の回復がまだ十分ではない母の、長時間の移動は、体力的にも、精神的にも、負荷がかかるので、十分な準備が必要でした。

高齢者の移動は事前確認と準備が必要です?
【安全・安心の確保】

◆私の連休を利用してお見舞いに行くことにした!(事前に確認する内容が多くある)
車移動で2時間移動計画が必要でした。まず、その準備をしていきました。高齢者は水分を多くとる必要があるので、トイレの確認が一番大切である。

 また、トイレが和式はダメなので、洋式先の確認(休憩先)、食事先、等の事前に選定、行動を計画し準備をしました。

◆その他の項目で事前に準備したことがある!
携帯品として、お水(水分関連)、何かの為のオムツ関連、着替え等も事前に準備した、もちろん一般的なお見舞い準備もしました。その他には、車はレンタカーで乗り降りの際に足、膝への負担が余りかからない低床スライドタイプにした。いろいろ確認しましたが、一番高齢者に向いていると思います。

叔母の病状悪化の連絡があった!

面会(お見舞い)交流・家族の関係がありがたい?

◆叔母も一人暮らしで苦労をした人です?
家族は私同様に遠距離でした。今回の入院では、地元の病院では、家族が定期的看病ができないので、家族のいる、町まで、約3時間かけて、家族の住んでいる近くの病院へ転院していました。叔母は大変喜んでいました。

◆今回は、再発なので症状的に復帰は難しい状態でした!
看病となると本人の慣れた地元から、遠く離れて、家族居る町へ移動せねばならなくなります。最後は、やはり、家族の見守りが必要なのです。

◆母が、お見舞いに行った時の症状ですが?
数ケ月前には、電話では元気であった叔母が、ベッド生活で、食事もままならない状態でした。人は急に大きく症状がかわります。私は、ただただ驚くばかりでした。

◆母の悲しみは深いものがあり!
手をさすり、足をさすり、髪をとき、会話はほとんどできない状態でしたが、姉妹の確認と情を確かめ合っているようでした。約2時間程度滞在して、名残惜しくもその場を離れました。もう、最後の別れになるとの思いが母にはあったと思います。

 帰りの車は、お互いに静かでした。簡単に夕飯をとり、施設まで送りました。今回は、あえて多くを語りませんでした。半年前は、母も、危険な症状であったことを思い出し、心が痛みました。

叔母の葬儀を迎えた時の母は?

◆1ケ月後に訃報があり!
叔母は亡くなりました。母の身内はいなくなりました。葬儀は、地元に帰らず、子供たちが住んでいる町でおこなわれました。

◆私達は葬儀に参列!
安全に配慮しながら一旦自宅に戻ってもらい、喪服に着替え、準備し参列しました。

 親戚との久しぶりの会話では、私の従兄弟関係が主で、親戚も親の代から、子供、孫の代に変わって、お互いに遠距離にいる関係もあり、会う機会も少ないので、だんだんと昔のような親戚関係は薄くなっていくように感じました。

核家族化もあり、お互いに遠距離に住んでいるため、葬儀ぐらいしか親戚どうしも会うことがないようになっていっています。残念ながら。

◆葬儀の帰り時に車で母と話した内容は?
母より、ぽっんと、『兄弟姉妹がいなくなり、ひとりになった』と言いいました。母は5人兄弟姉妹です。『子供も孫もいるではないですか』と言いましたが、私達は、遠距離に居て、簡単には会えないのです。

 なんとも、言えない気持ちでした。人は、年齢を重ねると、別れが多くなり寂しくなります。

地域の友人の関係で助かりました!
【母が喜んだ】

母の昔の職場の友人、近所の友人診療所、施設、介護サービス方々に感謝

◆自宅の近くの施設に入居しているので助かることがある!
サービス付き高齢者向け住宅には、近所と友達もよく遊びによくきてくれています。ありがたいことです。

 また、母が元気な頃に、旅行等を一緒によく行っていた仲間の人たちです。昔の職場の仲間の人も遊びにきてくれているようで、漬物、お菓子、庭で取れる果物等が部屋には沢山ありました。

※私も、近所へは、挨拶をしたり、お礼に行ったりして、関係維持に努めています。

◆私より面会の多い友人の人達がいる「感謝しかありません!
頻繫に、訪問してくれている友人の方々に、本当に感謝しております。地域で見守っていただいております。年齢を重ねても、地域との繋がりを持っている母です。日頃の暮らし方がうかがわれます。

 これが地域の1)包括ケアの関係と思います。皆さんに、ただ感謝しています。いろいろあった、1年目でした。今後も母の介護生活は続きます。「長く元気にいて欲しい」と願っています。

◆1)包括ケアの詳しい記事は別記事で紹介しています◆
参考にしてください。

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※【超高齢化社会】は地域で支える仕組み「地域包括ケアシステム」の体制構築が重要


 

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ABOUTこの記事をかいた人

パナソニックにて24年以上の介護事業経験を有し、個人の介護体験を活かして、シニア世代及び高齢者が自分らしい生活を送れるよう情報を提供します。介護保険や介護施設、在宅介護の準備に関する情報提供を通じて、超高齢社会の課題に取り組むことを目指しています。